書籍紹介

法と民主主義 2022年1月号

日本民主法律家協会という法律家団体があります。略称は「日民協(にちみんきょう)」といいます。
紹介しておきながらなんですが、私は会員ではありません(会費が高いので…。)。

その代わり、と言っては何ですが、機関誌である「法と民主主義」は定期購読をしています。
私が定期購読を始めたのは、2015年7月8・9月合併号の創刊500号からです。この時は、「憲法の危機に抗しつづけて」というテーマで様々な論考が掲載されていた。折しも、安保関連法をめぐる国会内外での論争が続いていた時でした。
以来、毎月の定期購読を始めて、今号で565号。毎月の到着を当たり前のように感じる本になりました。

今号は、「2021年総選挙を総括する」という特集が組まれています。
その中で、私が気になったのは、角田由紀子先生の「女性議員の現状と展望」という論考でした。

角田先生といえば、1989年に日本で最初のセクハラ裁判を提起した弁護士のおひとり。今なお現役の第一線でご活躍。私は直接お話したことがないのですが、2017年の日弁連人権擁護大会で「ハンセン病隔離法廷における司法の責任に関する決議」での質問を聞いて震えた記憶があります。

私の記憶の限りですが、大要、先生はこの決議の末尾に、人権問題に鋭敏になるよう努める旨の語句が入ったたことに関連し、自らの不知と不明を率直に反省された上で、「この問題について、我々が鋭敏ではなかった理由について提案者はどのように検討し、結論を出したのか。ここが明確にならなければ、私たちはまた同じ過ちを重ねるのではないか。」と質問をなさっていて、ハッとさせられたんですよね。

同じように、今回の論考の中でも、ハッとさせられることがいくつかありました。

このタイトルでの原稿依頼を受けたとき、私の気持ちは複雑であった。女性議員の少ない現実を何とか改善する努力は、女性がすべきという思い込みが男性たちのどこか似ないだろうかと、半分腹を立ててしまった。<中略>このアンバランスな議員の男女比は、女性が議員になりたがらないからではなく、女性が議員になることにはさまざまな困難があり、それの解消が社会にとって喫緊の課題であるとは考えられていないということを示す。<中略>議員数に見られる男女比の極度のアンバランスは、不当に多く男性が議席を占めていることを示している。女性が少ないとだけみるのではなく、男性が多すぎるとみるべきである。

角田由紀子「女性議員の現状と展望」法と民主主義565号(2022)20頁

…ところで、ジェンダーは、社会的・文化的に作れられた性差、「男らしさ」「女らしさ」と理解されている。このジェンダー規範によって生きることを苦しくさせられることは男性にも起きるだろうが、圧倒的多くの事例は女性に起きている。

 社会的・文化的に作られたというのは、詰まるところ、政治的に作られたということだ。文化も社会も男性権力に支配されてきたからだ。その政治を正す場である議会が呆れるほどの男性社会であることは、なんだか悪い冗談のようでもある。負の堂々巡りでは困る。

同上、22頁

自由に活動できる元気な男性しか想定していない選挙活動が女性を潰し、新しい息吹が吹き込まれることを阻止する。男性ジェンダー規範にどっぷりとつかっている旧態依然とした選挙を含めた政治のやり方の改革は、ジェンダー平等政治を目指す政治家の誕生には不可欠だ。しかし、多くの政党では、選挙を含め、意思決定の重要な部分を握っているのは男性だ。政党がそのことに気づいて女性を本気で登用しなければ改革は難しい。

同上、23頁

私たちの仕事道具の「法律」は、国会(議会)で生まれています。
法律は私たちの社会を規律するルールですから、どんな人たちが私たちのルールを作っているのかということは、とても大切な関心事です。

そのほかにも、興味深い論考がありました。機会があれば、手に取ってみてください。